アメリカのピアノ関連の友人たちに誘われ、ピアノテクニシャンのマスタークラスを受けるように勧められているのですが、その勉強における一部に以上のような動画が紹介されていました。触り程度のものですが、非常にロジカルに説明されており、これはバークリーやハーバード・ビジネス・スクールでも経験することなのですが、物事を図解し論理立てるのが非常に上手な文化であることを改めて感じることが出来ます。こうした背景は、日本では余り見受けられない傾向にあり、自分が知るところでは少なくとも、こうした知性溢れる理屈というものを組み立てることは、出来ていないように思えます。 その背景には、やはりピアノという楽器自体が、欧米で作られてきた楽器の集大成であり、最も工業製品的であるとともに、芸術性を最大限注ぎ込まれた楽器故に、理解の度合いというものが、最終的なツメになるとどうしても甘くなるのかもしれません。 特に整調が日本人のほうが丁寧であるとか、欧米は荒いなどと言われることを耳にしますが、そうではなく、本当に必要な箇所の感じ方や、その見識に国民性故の違いが見られるのであって、丁寧とされる感性が異なると言えます。結局日本の感性で行なわれた丁寧な調整からは、スタインウェイ本来のサウンドは出てこないのであって、では何故自分たちは丁寧にやっているつもりが、最も著しい結果を求められる音色に対して、明確な回答を出せないのかを考慮する必要性があると感じています。 単にこれは、根本的な理解の方法を間違っているのであり、そこから脱却し欧米風の”丁寧”とされる感性や価値観を手に入れる必要があります。この部分が噛み合わないことには、何時まで経っても本来のスタインウェイサウンドというものは、雲の上で終わってしまうように思えます。 この動画1つとっても、新たな境地というものを考えなければならないことを、感じさせられるものがありました。
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